独りぼっち

自慢じゃないけど、俺は今のお仕事に就いてから約3年間ずっと独りぼっちだ。今まで小学校・中学校・高校・大学、そして会社員として色んな組織というかコミュニティーに属してきたけど、会社員を辞めてからはどこにも属さず本当に個だ。

まぁ上を見ればもっと独り歴の長い猛者もいるとは思うけど、俺だってある程度独りぼっちをやってきたから見えてきたものもある。今日はそんな独りぼっちになるとどんな風になっちゃうのか俺の経験を踏まえて紹介していこうと思う。

まずは独りぼっちの本質から

実際に独りぼっちが長いとどうなるかの前に、まずは独りぼっちの本質というか独りが意味する本当のところについて紹介しておこうと思う。たぶんほとんどの人が寂しいとか物理的に一人という意味を感じるかもだけど、そうでもない。

独りぼっちってのは誰からも評価されないという事

独りぼっちというのは、誰からも評価されないという事だ。叱られもしなければ褒められもしない。嫌がられる事もなければ、感謝される事も一切ない。それが独りぼっちだ。だから複数人で居ても独りぼっちの人はいる。

この誰からも評価されない事が続くとどうなるか

ではこの独りぼっち、つまり誰からも評価してもらえないのが続くとどうなるか。ここからが表題の回答というかこの記事の本題になるので興味のある人は読み進めてほしい。

自分が何者か分からなくなる

誰からも評価されない事が続くと自分が何者か分からなくなるんだ。自分という輪郭がどんどんぼやけて曖昧になっていく。自分が何が好きで何が嫌いか、何に向いてて何が不得意か。そんなのが分からなくなる。何をしても味気なくなるし自信もなくなる。

強い劣等感、そして異常な自己肯定へ

誰からも評価されず肯定してもらえないと色んなものに強い劣等感を抱く。そしてやがては異常な自己肯定に入って、自分を崇高な人物であると思い込もうとする。そのために他者と比較して貶めたり見下したりする。サラリーマンをdisる一人ぼっちの自営業者とかがそう。

間違った理論武装をして近しい人に自分の凄さを論じる

まだ自分の中で俺は凄いと思っているのはいい。ただ独りぼっちを拗らせると、わずかばかりの自分に近しい人に自分の考えを論じて押しつけ始める。間違った理論武装をして誰かを否定し自分を凄い人物に見せ始める。自分を認めて欲しい、評価してほしいという気持ちが強くでるわけだ。たぶん人としての自我を保つためのセーフモードが働いてんのかな。

これからも独りぼっちが続くという方は

上で書いたように基本的に独りぼっちは精神衛生上よくないのは明白だから、出来ればいろんな人とお話してコミュニティーに属する努力をすべきだと思う。でも中には上のような精神状態になっても独りを続けたい、続けざるを得ないという方もいると思う。そんな人は色んな事を受け入れる事から始めよう。

自分の負の部分を受け入れよう

初めて他人と違う事をしたのが会社を辞める事だった人なんかに多いんだけれど、どうしても見栄やプライドが強くなりすぎてしまう。だからまずは自分が他人より劣っている部分や逃げ出した事をきちんと認めて受け入れるところから始めるべきだ。直視できない、忘れたい、知られたくない事もあると思うけど逃げちゃダメだ。自分を認めて、己とはどんな人間なのかきちんとまずは自分が認識できるようになる努力をしよう。

その上で卑屈にならないように注意する

ただし上でも書いた通り、自分がどんな人間なのかというのは結局のところは他者が決めることだ。己がどんな人間が自分で認識する努力をしたとしても結局はそれは正確ではなくて、あくまで自分という人間は他者の評価によって決まる。だから誰からも評価されないと0点のままなので、どうしても卑屈になる。人ってのは自分じゃ加点できないようになってるんだなこれが。でも独りぼっちとは何ぞやをきちんと理解して受け入れて卑屈にならないように注意すべきだ。

そして、独りぼっちを最大限愉しむ努力をする

独りぼっちだとどうしても人間性が腐ってくる。いくら独りぼっちと言えど、中身が腐ると後の生き方にも出るし人生を無駄にしかねない。だから上で書いたように卑屈にならないように注意が必要だ。そしてその上で独りぼっちを最大限愉しむ努力をすべきだ。もう他人と喋るのが苦手すぎて辛い、向いてない、それを受け入れて一人を最大限愉しめ。独りだからって卑屈になって人生を無駄にするのだけはダメ。孤独すぎて自分が誰かも分からないようになったとしても、卑屈にさえならなきゃ何かしら状況を変えようと勝手に身体が動いてくれるからさ。ま自己防衛機能みたいなもんだよ。それが俺にとってはこのブログってわけ。

最後に

ここまで偉そうに書いてきたのは、全部俺の実体験によるものだからだ。断定して言い切る形で書いたので偉そうな物言いになりました、本当いやな気分になったらごめんなさい。

でも、人間誰しも独りぼっちになる可能性はある。そんな時に独りぼっちを拗らせて上で書いたような屑人間になってしまわないよう、もしくは自分が何者かわかんなくなって気が狂ってしまう前に知っておいて欲しかった。

そして、俺は今も絶賛独りぼっちだけど楽しく生きてるよってのを知ってほしかった。大勢で居るのが苦手なもんは仕方ない。色々受け入れて楽しい事を探せば独りでも全然楽しい。

独りじゃ自分が何者か分からなくなって自我を保てなくなるって言ったけど、俺みたいな一人が好きな人間も、こうやってブログを書いて誰かから少なからず評価されたりしてさ(ほんのわずかなコメントなどなど)、自我を保つ方法は今なら幾らでもある。要するに独りでもこの時代ならなんとか最高うぇいってのもできるって話よ。

雑談

人間ってのは己で己の存在を確認・認識ができていても、他者から認識してもらえない状態が続くと自分が何者かわからなくなってしまう。これは上でも少し書いたけれど、本当に不思議だよな。俺はここに居るのを自分で分かっていても、他人からの何かしらの干渉がないと存在があやふやになってしまうわけだ。つまり結局俺ら人間ってのは誰か他の人と関わっていないと自分を保てないようにできてるみたいだ。

なんか安易な例えになるけど、透明人間ってのを想像すると分かりやすいのかなぁと思ったり。たぶん君が透明人間になったとしたら最初の何年かはまぁ自我を保てるとは思うんだけどさ、多分3年もすれば気が狂うというか自分が誰かわからなくなると思うな。だって誰からも認識されない訳だから自分が何者かも認識できなくなるってことだからね。いや、まぁわかりやすく書こうと思ってより分かりにくくなる例だなこりゃ。ごめんやで。

なんと言うか、いくら自分を強く持っていても誰かからの評価というか「君はこういう人間だよ」というある種レッテル貼りのような事をしてもらえないと自分が何者か分からなくなるのよね。なんかつくづく人間って不便だわね。人は一人では生きていけないなんて言葉があるけど、大したもんだわあれは。なんか使い古された言い回しで腹に落とし込みにくい文言だけど、昔の人は偉大だよな、確かに人は一人では生きていけないようにできてる。

ただ俺は一人で生きていく努力をするよ。もちろんこのブログの読者の方にわずかばかりの評価という己を認識するための助けを頂きながらだけどさ。なんとかかんとか一人でやってこうと思ってる。やっぱり誰かとお話したり、誰かと協力して何かをなし得たりするのが苦手だからさ。俺は一人で生きていく。(何かしらコメント頂けたらめたんこ喜びます)